動摩擦係数

生きています

お祈り

メールが楽しみでならなかった。僕はそこにあらゆる希望を見出していた。そのメールさえ来れば僕の人生はとりあえず安泰だった。家族も安心するし、彼女とも一緒に居られる。

僕はそのメールが吉報であることを祈っていた。多分祈りすぎた。祈りすぎてそれが自分の中で確信になっていた。メールが来たらそれはいい知らせであるという確信。

僕のスマホはロックされていても短縮形式でメールの中身が表示される設定になっている。だからロックを開いて確認するまでもなかった。 

何かがうまくいったと期待したそばから現実はそれを否定してくる。対抗策は1つしかない。ポジティブ思考。自分が「落とされた」のではない。御社と合わなかっただけ、私が色々な志望動機から第一に志望していたその御社に見る目がなかっただけだ、と自分に言い聞かせる。湧き上がってくるどうしようもない現実の自分を押し殺し、ポジティブの自分を堅持しなくてはならない。

 

安心しろ、お前はクズじゃない。現実を見ろ。大丈夫だ。ふざけるな、何が大丈夫だ。大丈夫だ、全てが終わったわけじゃない。でも一時間前まではそのメールが全てだったろう?引っ込んでいろこの役立たずネガティブ野郎、お前は何も生み出さない。そう言うお前は何か生み出したことがあるのか?五月蝿い、邪魔をするな。邪魔をしているのは僕ではなくて現実の方だろう、当たるなよ。何でもいい、放っておいてくれ。放っておいた結果が今回のお祈りだ、何か変えなきゃダメだろうよ。違う、俺が悪いんじゃない、向こうが悪いんだ。じゃあひたすら悪い奴らに当たってるってことじゃん、そんなのやめとけよ、入ってもいいことないって。やめろ、また自己分析の闇に堕ちるのは嫌だ。だからそこが不十分なんじゃないのって言ってるんだ。いや、そこは揺るがない、揺るがせてはダメなんだ、全てが無駄になってしまう。でも既に色々と無駄になってるじゃないか、ESにかけたあの労力は一体なんだったと言うのだ?

 

頼む、出てこないでくれ。お願いだ。